島津法樹さんのコラム
初出は「ハイハイQさんQさんデス」(http://www.9393.co.jp/)に
2004年8月から2005年11月まで連載された「損する骨董得する骨董」です。

第182回


損する骨董-4人の億万長者それぞれの買い方、参謀Aさん

唐荊州窯白磁茶碗

バブル期のこと、
気前よく骨董を購入する4人のコレクターがいた。
皆不動産関係で羽振りは物凄くよかった。
それぞれ個性的で横で話を聞いているだけでもエキサイトする。
その話に乗って僕も不動産屋を始めた。
しかし怖くなって半年で止めた。

一番年長のAさんはある大手銀行の先端的な仕事をやっていた。
地上げ屋との交渉、有望な不動産情報の仕込み役みたいなことだ。
4人の中では参謀的な存在だった。
その人の骨董の買いのポリシーは
どれくらい儲かるかと言うことだった。
こんな例がある。
ゴルフ場の会員権を買っても、
二口買って一口がタダになると思えば、
更に高くなると見込めてもさっさと売ってしまう。
自分のプレーのために一口残しておくというやり方だ。
バブルが弾けても殆ど傷ついていないようだ。

Aさんが骨董を始めたのは、4人の中でもっとも遅かった。
しかし、いったん始めだすと誰よりも積極的だった。
僕の行動をつかみ、
海外から帰ってくると、
「どうして今!」というタイミングで店にやってきた。
アシスタントの女性に鼻薬を嗅がせていたのだろう。
僕に良い物を選ばせ、さっと引き上げてゆく。

「全国でゴルフ場がどんどん作られているけれど、
 どれも特徴が無い。
 クラブハウスにミニ美術館を作って、
 骨董を販売してみようと思っているのだ」
と言った。
そして「プランを作ってくれ」と言われた。
僕もそのビジネスには興味を持ち、乗り気になった。
そのうちAさんの買がぴたっと止まった。
何かあるのかなと思っているうちに、
Aさんはそれまで買っていた骨董を売りたいと言い出した。
それである美術館に話をもっていった。
二つ返事でAさんのコレクションはこの美術館に入った。
まだ皆が浮かれていた頃だった。
しばらくAさんとは取引が途切れていたある日、
店の前に大型高級車が止まり、彼が降りてきた。

「残った物を、幾らでもいいから処分してくれ」
と言って10個くらいのダンボール箱を持ち込んできた。
そのときはすでにマーケットは、がたがただった。
「前とは違って価格はかなり厳しいですよ」
とAさんに伝えた。
「幾らでもいいですよ」
とさらっとしていた。
数箱のケースに入った茶碗や壺は
桐箱から一度も取り出されていなかった。
紐は最初に結ばれたままの状態だった。

投資家としてのAさんの実態がはっきりと見えた。
彼は殆ど損をしなかった。
ただ売り買いのゲームだけをやったのだ。
Aさんにはもっと骨董の楽しさを知ってもらいたかった。